| 種 | - 2011/09/27
- 「蒔かぬ種は生えぬ・・・」とは良く言う言葉である。どんなことでも、まず、始めに手を下さなければ何も成らないということであり、何をするか、どのようにするか、どんな結果を望んでいるのかという目的があって物事はスタートをする。つまり、何の種を蒔いて、どんな花を咲かせようか、どんな果実を収穫しようかという目的があって人は種を蒔くのである。まず取り掛かる事であり、隣の青い芝生を眺めているだけでは何も生えては来ないし、更に、同じ種を蒔くにしても、普通の人が芝生や草花の種を蒔く気持ちと、農家の人が作物の種を蒔く時の心構えとでは、天地の違いほどの差があるものである。
「蒔かぬ種は生えぬ」という言葉の種がどんな種なのかは知らないが、多くの場合、何気なく気楽な気持ちで蒔いていた種が、何時の間にか芽を出し、花をつけ、実を結んでいたりしたときに発する言葉で、広くは、そんな何気ない気持ちで施していた善行や功徳が、後になり実を結び、実利や評判や成果となり自分のところに帰ってくるような意味でも使われるようだ。つまり、人によっては「買わない宝くじは当たらない」とばかりに、せっせと宝くじに種を蒔いたり、下手な鉄砲数撃ちゃ当たるとばかり、あれこれ女性にちょっかいを出している者もいるのが、それも、また「蒔かぬ種は・・」の一面である。 ところが、この言葉の真の意味はそれだけではなさそうである。将来、何かを為そうとする者は、思い立った時、気がついた時、その時に出来ることは、直ちに実行しておくことが大事であるということではないかと思う。つまり、起こり得る予測のもとにかなり前から準備をし、あらゆる場面を想定して布石を打っておくことが大切で、その中の一つでも役に立てば大変な成功である。その準備の有無が成功者に成るかならないかの違いになるのであろう。花は咲かずに実も成らないかも知れないが、そんな結果を恐れずに、思い立ったらせっせと種を蒔いておくことだ。 このようなことは、人間関係の中では特に大切なことで、利害や計算ではなく、その時その時、出会った人達と良い時間や良い思いを共有し、その人達を大切にしておくことは何よりも良い種を蒔いていることになる。いつ何ん時、それらの人達が自分の助けになるかも知れないし、心の支えになってくれるかも知れない。つまり、無欲で、惜しみなく他人に徳を施せる人は、知らずに日々良い種を蒔いていることになり、思わぬ時にその実りや収穫を得られるものだ。 所詮、人間は独りでは生きていけないのだから、周囲の人に心を配り仲良く付き合っていき、そして、自分に出来ることは労を惜しまず尽くすことが出来れば、そんな人は知らず知らずのうちに良い種を蒔いていることになり、期待をしなくても他の人から思いもかけない美しい花や美味しい果実を贈られることだろう。他人に良い思いをさせられないのに、人から多くのものを期待してもかなえられないものであり、周囲に不義理をしていて他人に義理を求めたり、薄情者呼ばわりをすることなどもってのほかである。世間の付き合いや冠婚葬祭などはまさにそのものずばりの結果となって現れる。 議員などという人種にとっては、この事実が正に選挙の当落を決定する最大の要因になるのではないかと思われる。特に、お金もなく組織もなく親類縁者もない私など不相応の議員になれたのは、知らずに蒔いておいた種が、無駄なく芽を出し花をつけたような気がする。 これからは自分の手で肥料を与え、自らも育ち、実をつけ周囲に与えられなければ、直ぐに見放され枯れてしまうかも知れない。そのような立場なのである。 | |